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12月になったら、ティファニーのアクセサリーを選びにいき、
大晦日は、紅白か、格闘技、あるいはジャニーズのカウントダウンをみる。
1月2日には、新宿伊勢丹メンズ館で、ウールのセーターかコートを初売りのなかで買う。
「あのCMでやっていたから。」「雑誌キャンキャンのモデルが着ていたから。」「新聞広告で見たから。」
こんな、動機で、私たちは消費活動する。
ある1時間のテレビ番組を見るとき、私たちは数分から10分ものコマーシャルをみる。
もちろん、リモコンでチャンネルを変えればよいが、変えた先でもCMの時間のこともある。
先日、三谷幸喜監督の「有頂天ホテル」が放映されていた。この作品を私は大好きで何度もレンタルして
笑い、感動したけれども、テレビ版だと20〜30分長い。もちろんコマーシャルメッセージの分。
YUUの美しくソウルフルなカウントダウンの歌まで間延びし、この時間のためにどたばた痛快コメディーの
テンポが薄れてしまう。
私は、2ヶ月ほどTVを見ない生活をしている。見ないという決意をしたわけではなく、自然に見なくなった。
(もちろん、公共施設でついているのは見るし、家族と食事中についているのは見る。)
この生活をしてすごくビックリするようになった。普段寝室や車の中でモーツアルトやアイザックスターンを聞くの
だがその曲が突然どこかから聞こえてくる。ふっと。びっくりして音のするほうに目をやるとブラウン管で赤のゴシ
ック体の文字が動いて、芸能人がナレーションする。数秒後に企業名や製品名が、きれいなフォントで表示される。
色彩、楽曲、効果音、文字のフォント。15秒で見事なまでに情報がつめ込んである。
力道山の空手チョップに、東京オリンピック、東海道新幹線開通の時代からコマーシャルが、ビジネスモデルの大部
分を構築してきた。知らず、知らずのうちに、あの曲の、あの芸能人の、、、、あのCMの。
電波法に基づくテレビ放送の免許制と広告代理店による大規模キャッシュ。私の感覚ではこの旧来からのパターンは
大分収束してきたし。これは今後、5年〜10年でますます進むであろう。
新時代を向かえますますWebのちからがは誰も否定できないものとなる。
企業にとどまらず、国家、地域、同言語圏を超えて、同じ考えの人が時間と場所にとらわれないWisdom of crowdsに
現れ、集まり、共有するという作業を行う。
「‘これまで見たことのある何ものにも似ていない’と肝に銘じ、ニュートンからのアナロジーで理解しようとして
はいけない。」(梅田望夫氏)
「常識を捨てよう」(近藤淳也氏)
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070111
「常識とは18才までに身に着けた偏見のかたまりである」(アルバートアインシュタイン)
イングランド・ランカスター産業革命以上の地殻変動が、進行しつつあることを、あらためて私は自らの肝に銘じた
い。
梅田氏、近藤氏、渡辺千賀さん、平野啓一郎氏のWeb2.0関係の著書を読ませていただいている。
最新の著書を読んでいる、私自身が新時代に遅れていて、「これまでのアナロジーで理解し」「常識を捨て
られず」いる気がしてきた。
十代の知人はノートパソコンなんていう900gもある機械を持ち歩かず携帯電話で、Webと接続し、携帯SNSを楽しみ、情報を得て、ショッピングにわくわくしている。「アクアタイムズの新曲いいですよ。落としました!!」
年末年始に遊びに来た甥は右クリックなんていう難しいことは知らなくても、Webからオンラインオセロゲームを探して、“数秒待ってください。対戦相手参加待機中です。”の表示が消えるか否かのうちに、マウスをクリックしてあちらの誰か知らない相手とゲームをスタートさせる。「やったぁ!隅を三つ取れたから勝てる^^」
Webが新時代であるというのいは、大人の表現であり、つまり常識でフィルターリングしている表現に思う。
ビルゲイツ氏 ラリーペイジとサーゲイブリン 次の時代の決定者は現在十代の世代から登場するという。
次世代に今後はついていこうと思う。